思想妄想幼児~成人2009/03/12

たまに口にすることがあるのでご存知の方も多いかもしれませんが、店主が「なんでそんなに穏やかでのん気に居れるんですか?」と尋ねられた時に答える理屈があります。それは店主が3歳の頃にははっきりと感じていた不安「死の恐怖」に対する自分なりの答え。答えが出たのは店主が23歳の夏、石川県の国道8号線のとある交差点で信号待ちの時でした。頼りにならない頭で20年かかって気付いた理屈なのですが、最近興味を持ってくださる方が多いので書いてみます。過去のブログとかぶってたらスイマセン。若干バーションアップしてます。

こんにちは。コテコテパンクスと朝まで生トークモジュール店主です。昨日のコピーバンドの練習後話し込んで気が付いてみれば3時。時に真面目に、時にくだらない、時にロマンチックなトーク。どうでも良い事を真剣に語れる男同士の会話って好きです。

さて、どうも親に話を聞くと(というかメモ書きがアルバムにはさんであるんですが)店主は3歳の頃には変わった事を言っていたらしく、寝る時もクラシックをかけてもらって天井を見つめながら考え事をしていたらしいです。記憶にもあるのですが、末っ子の店主は曾祖母、祖父母、父母、姉2人という環境に生まれた為「家族全員の死を見届けるのか。」という寂しさというか、悲しさというか、そんな事を感じていたんです。なんで死ぬ事が確実なのに生まれてくるのか、なんて生き物を飼いながら考えていましたね。

では不老不死になるには、なんて考えた時期もあるのですが、1番それに近い生物は単細胞生物でした。細胞単体の複雑さは多細胞生物より複雑とも言われていますが、不老不死になったところで単細胞生物になるのは嫌だな、と思ったわけです。

そして、答えはなかなか見つからなかったのですが、ある時ボノボという猿の番組を見ました。訓練の後に言葉を理解し意思表示できるようになったボノボ。しかしその子供は生まれて数ヶ月で言葉を理解したんですね。人間より早いペースらしいです。

番組を見てしばらく経ってから思った事は、店主が今存在しているという事は、単細胞生物なんてやめた!って最初に思った想像もつかない形の生き物からずっと続く長い長いリレーのようなつながりがあって、その先に店主が存在している。そしてその間にはボノボのように経験を子孫に伝えたり、環境を整える事で最新型の子孫を育てたり、より時代にあった子孫を生む為の異性を求めてきたのだろう、という事ですね。寿命を受け入れる事で自由と対応力とを手に入れたのだな、と。

「なるほどそうか!遺伝子リレーの1走者なんですね、僕は。」と、そんな事を思うようになり「じゃあ、それ以外の人生って何だ?」と考えてみたところ、思いつく言葉は1つ「暇つぶし」だったんですね。人生のほとんどは単なる暇つぶしと思うようになってから、より積極的に楽しい事を求めるようになりました。

そして全ての人が、無意識だったとしても寿命と引き換えに最新型として2人の人間(両親)からバトンを託された個人なんだな、って思うようになりました。後になって細胞のプログラムである染色体は両親から半分ずつ与えられるもの。割合は減っても血の繋がりのある物同士はどれだけさかのぼろうが同じ染色体を共有してると知って感動しましたね。

これが店主の自論「遺伝子リレー」なんですが、たまに興味を持ってくれる方が居るので驚いてます。ただ、この遺伝子リレーにはゴールがないんです。自分がアンカーになるという事は自分の遺伝子が途絶えるという事。長い間続いてきた先祖の意思も途絶えるという事ですね。

そうならない為にもお洒落して積極的に出歩き、好奇心旺盛に楽しく生きようと思います。可能性は情報量と選択肢の多さに比例しますからね。