Ki-842009/09/06

日の丸は白枠派?枠無し派?
世間一般的にどうでもいい事なんでしょうが、店主的にはこのKi-84俗にいう四式戦闘機「疾風」の復元にまつわる話は、当時の日本人の残念ぶりを示す一例だと思ってます。左へ習えなのか当時もまだギブミーチョコレートだったのか、そんな事は当時誕生~幼少期だったので知りませんが、中学生の時に京都で疾風の現物を見て「随分ボロいなぁ・・・。」と思って見てました。しかしそれは日本がボロくしてしまったんですね。元々はアメリカで復元されて飛行可能な機体だったんですから。

飛行可能な現役の零戦を見にLAのチノへ行った時、当時の米軍機が当たり前に飛んでいる様子、働いている人の単なるマニアぶり、売店のオバハンが大声で無駄口叩いている様子、安モーテルの部屋の前にパトカー3台が停まり誰かが壁に手を着かされている様子などを見て、つくづく「アメリカだなぁ~。」と思いました。モーテルには訪問販売の売春婦も来ましたし。

なんだか日本は自分達で狭い世界を更に小さく狭くしているようにさえ思えます。

こんにちは。今日もコツコツ旧式軍オタモジュール店主です。京都で見た疾風と再会したのは鹿児島は知覧の博物館でした。外で展示されているよりは綺麗に見えた知覧の疾風でしたが、やはり現役の貫禄は無く残念に思いました。アメリカで旧日本軍機を飛行可能な状態で保存する事がどうしてお金を生むのか判りませんが、アメリカの懐の深さを感じた瞬間でした。イベントにおけるショッカー役だけでは採算が合わないだろうと思うのですが。

さて、正直以前にも書いたのかどうかも忘れてしまいましたが、旧日本陸軍戦闘機「疾風」。零戦が1940年辺りの欧米との航空技術と戦った工業製品だとしたら、疾風は大戦中の航空技術の進化と戦った工業製品に思えます。大東亜決戦機、日本最優秀戦闘機などと称される事もある優れた戦闘機でしたが製造に職人技を要する構造や現場での稼働率の低さに問題のあった戦闘機です。フェラーリの例え文句に「走る芸術品」なんて言葉がありますが、まさに「飛ぶ芸術品」。

画像を見ていただければわかるとおり、機体後部の絞り具合、垂直尾翼、キャノピーの形状など、誰が見ても胸が熱くなるディテール満載。主翼の形状は個人的には惜しい気がしますが、性能を追求する段階で相当苦労したらしいので、配慮して○。排気管周辺にススが付けば男のロマンまで付いてきます。

アメリカで戦後テストを受けた時は、同じ燃料・高度なら米軍機よりも速く飛べたそうです。高高度では米軍の戦闘機の方が優秀だったはずですから、降下を有効に活かす一撃離脱の戦闘においてはどうなんでしょうね。ムスタングキラー「赤鼻のエース」として知られる若松中佐を見ればわかる通り、戦闘となれば日本軍機には当時世界一の精神力がプラスされます。

例によって国産車に例えるとNSXかな、なんて思う店主ですが、旧日本軍機>車の知識では判断が難しいです。でも、零戦よりは例えるのが簡単そうな機体です。

という事で、本当は盗難・無知によって飛行可能な疾風を飛べなくしてしまった日本の残念ぶりを書こうと思いましたが、ki-84「疾風」の話だけで長くなってしまいました。