どうすれば空気を描けるのか2012/04/25

福井県立美術館のストラスブール美術館展へ行ってきました。絵は生で見ると興味の沸き方が全く変わるので、興味の無い方にこそ名画と称される絵を生で見て頂きたいと思うところではあります。

マジックか何かを見ているような不思議で仕方が無い気持ちとか、写真よりも現場に居るような錯覚に陥る空気感とか、間近に見るタッチの荒々しさとか生々しさとか・・・会場で気に入った同じ絵のポスターや絵葉書を買おうと思っても、現物を見た後だと買う気が失せる位の差がある生の絵画の情報量。

最近気になるのは物自体の放つ情報量と受け止める側の感受性のバランス。名画の中にも好みがあるので響かないものはあるのですが、足を止めて見入ってしまう絵には視覚を通して自分の感動した実体験を思い出させる情報が詰まっているのではないかと思います。

丁度今朝散歩していて見上げた山は印象派といわれる画家の絵のように白くかすんで見えました。その時体感した空気の肌触りや匂い、コットンのニットの下で感じる日差しの暖かさ等の記憶を蘇らせる情報が印象派の画家が描く絵には詰まっているような気がします。

普段音楽を聴いていても音には色んな情報を感じるのですが、やはりそれも記憶に直結した情報のような気がします。太鼓の材質やサイズ、シンバル類のメーカー、楽器の鳴っている部屋の広さや壁も硬さ、低音の音質等・・・全て演奏したりクラブやライブハウスで体感した音の記憶に結びつくようです。

ラモーンズの「ロコライブ」というライブアルバムも、実際に観に行ったライブ会場とは音質から広さの違いが判りますが、SEが流れた瞬間や観客が歓声をあげた瞬間、演奏前にギターやドラムが鳴った瞬間、演奏が始まってから・・・いちいち観に行った当時を思い出します。

メンバーが出てきて「ちょっと、ちょっと」と思ってるうちに前へ押しやられ見上げた先に居たラモーンズのメンバーを見た時のあの気持ちとロコライブの音は直結している訳です。※ちなみに「本当に居るんだ!」が当時の感想でした。

年寄り臭い思い出話になってしまいましたが、印象派の絵画に興味を持ってから感じるのは「センス」や「感受性」等と例えられる、まるで天性の物のように言われる物は、収集力に個人差はあれど、実は実体験の有無の話なのではないかとうこと。そしてそれが多いほど感動するきっかけが多いのではないかということ。

1番面倒臭いルートが1番思い出になるのはパックパッカー時代に学んだ法則ですが、日々の暮らしも似たようなものかも知れません。回り道には情報がいっぱい。その情報は思い出や感性に姿を変えてずっと残るのでしょう。

今朝の景色を見ていたらクレヨンか色鉛筆が欲しくなりました。4色程あれば充分なんですが。