いよいよ中年アルアル仲間入り2019/02/08

3月から始まるライブラッシュに備えて
できるだけ毎日コツコツとドラムの練習をしていますが
恐れていた腰の痛みが再発・・・。

しかも今まで経験したこと無いような強烈な痛み!
立てない訳じゃないけど骨盤が割れたか?という位の痛み。
骨盤割れたことないから、それがどの程度の痛みか知りませんが(笑)

とりあえず1時間叩いたら3日は腰に激痛が走る瞬間が続きます。

年寄りくさい話なんてブログに書くのもなぁ、とも思いましたが
あまりにも痛いので、これは書いておこうかと(笑)

早いうちに北京のライブが決まってて良かったです。
今のうちにやれることはやっておかないと。

さて、話は服屋らしいのに戻すとして・・・
先日はFRED PERRYの展示会で大阪に行ってきました。
まぁ、新作は現物を見てもらってからという事になりますが
いつも通りライセンス物は直営店にお任せするとして
イギリス企画の中から良い物を選んで展開します。

大阪といえば、今月はThe Internetのライブを観に大阪へ行きます。
正直今の腰の状態だと立ち見は厳しいんですが
ブラックミュージックのライブは久々なので楽しみです。
来月は坂本慎太郎さんのライブも観に行きますし
この春はライブをやるのも観るのも多い春になりました。

良いバンドマンは良いリスナーでなければならないって
随分昔に言われたことがあるのですが
今でも新旧東西問わずいろんな音楽に触れて
その影響が演奏に出せているのは良い事かな?って思います。
今日も1枚レコードが届いたところですしね。

そして話は振り出しに戻って・・・

内面が成長しててもドラム叩けないんじゃ寂しい限りです。
やっぱり最後は「身体あっての・・・」って事になるんだなぁ。

ショー・ザ・フラッグ2019/02/10

年始からのここ数ヶ月で何度か聞かれたり話したりした話。
初めてのパリでのライブとカンボジアでの思い出の2つの話。
ブログで書いたこともあるかもしれませんが、もう一度書いておきます。

まずはカンボジアでの思い出話。

26歳ぐらいの時に3ヶ月ぐらいアジアを放浪していました。
シンガポール~マレーシア~タイ~ミャンマー~タイ~カンボジア~
タイ~マレーシアというルートを一人旅。

タイ~カンボジアの国境からトラックの運転手と交渉し
確か5ドルか6ドルでアンコールワットのあるシェムリアップまで
トラックの荷台に長時間座って行くというバックパッカーらしい行程。
早朝にバンコクを出発してシェムリアップへ到着した時は夜になっていました。

激安の宿を探し真っ暗な裏路地を歩いていると
まだ幼さの残る3人の若者に声をかけられました。
今は営業していない安宿の息子達だったようで
交渉して1泊1ドルで泊めてもらえることに(笑)

それから数日間
昼からビールを飲み、音楽を流し、
若者達の似顔絵や落書きをしながら過ごしました。

若者達はスピーカーから流れるボブ・マーリーを聴いて
「こんな音楽初めて聴いたよ」と興味深そうに話したり
Everything's gonna be alrightという歌詞を聴いてうなずいて笑ったり
そんな彼らと他愛もない会話をしながら
何をするでもなく数日間が過ぎていきました。

毎朝「今日もアンコールワットには行かないの?」とは言われましたが(笑)

ある日の夕方、若者達から
「安い食堂があるから一緒に食事をしよう」と誘われて
ローカルにも程がある屋台のような食堂に案内されました。

当時アジアではよく聞いた「タカり」というか
「俺達よりお金あるんだから奢ってよ」的なものかな?とも思いつつ
「まぁ、でも世話になってるし仕方ないかな?」なんて思っていると
支払いの時にシワシワの薄汚れたお札をポケットから1枚ずつ出してきて
「俺達は今日稼いで来たから!」と割り勘で支払いをしました。
その時の二人の表情は、とても自信に満ち溢れた大人の顔でした。

その後彼らの商売道具のバイクの後ろに乗せられ
当時の現地では珍しい大きなホテルに連れて行かれました。
「この柵の隙間から見れば伝統舞踊のショーがタダで観れるよ」と。

伝統舞踊を観ながら家族の話になり
店主の家族構成や暮らし方を説明していると
「あなたの家族はつながりが薄いんじゃないか?」
「私達家族は皆で働いて助け合いながら皆で暮らしている」
といった内容の事を真剣な顔で諭すように言われました。

当時、「大人になる」とは
自分一人で何でもできるようになる事だと思い
その中で海外を一人で旅する事に意味を求めていましたが
この瞬間なんだか目が覚めたような気分になりました。

シェムリアップの街を離れる時
出発が早朝だったにもかかわらず
宿のドアを開けるとすぐに若者達が出てきて
「またすぐに来てね。来年ね!」と言って見送ってくれました。

バンコク行きのバス乗り場に歩いて向かう途中
登り始めた太陽に無言で手を合わせて拝む老婆を見ました。
その光景はアンコールワットのある街シェムリアップのエンディングにふさわしい
とても神々しい光景でした。

バンコクに戻り
旅行者が毎日昼夜問わず酒を飲み騒いでいる通りで
深夜まで働いている現地人の夫婦や老婆を見て
何故かすぐに日本の家族の元に戻って働きたくなりました。

地元に暮らし自分なりの覚悟を持って生きる。
そう決めたのはこの時だったように思います。

当店のオープン当初に掲げられた黒い旗と当店の黒い看板。
それはアジアでの自分の決意を表すシンボルでした。

※興味のある方は黒旗の意味も調べてみてね。

パリは燃えているか2019/02/11

初めてパリを訪れるきっかけとなり
その後パリに何度か訪れるきっかけとなった
パリ郊外の廃墟で行ったライブの話です。

まだユーロが導入される前のヨーロッパ。
当時は住所と地図を頼りに目的地を探すしかない時代。
おそらくこの辺だろうという所まではたどり着いたのですが
住所の最後に書かれていたのは「~の辺り」という気になるキーワード。

歩いている人に住所を見せると、やっぱり場所は合っている。
しかし目の前にあるのは工場か集合住宅跡の廃墟・・・。
人の気配を感じたので恐る恐る中に入ってみると
やっぱり会場はこの廃墟の中でした。

案内されてリビングとして使われている様子の空間に入ると
どういう訳か違法な何かを「買わないか?」と勧めてきたり
国際交流としてはちょっと距離感のある質問をされたり
今夜は一体どうなってしまうのかな?という第一印象でした。

トイレを借りれば水道は止められているらしくバケツで汲み置きの水を流し
電気も来ていないようでキャンドルが照明代わり・・・。

ところがライブスペースに行くと、何故かエレキギターが鳴っている。
ステージ上には割れた瓶やガラスの破片が転がっていて
ステージの器材は対バンのクラストコア(見た目怖そうな)のバンドの物。

つまりその怖そうなバンドからドラムを借りなければならない訳で
「ドラムを貸してもらいたいのですが・・・」と恐る恐る声をかけると
「全然良いよ!好きに使ってよ!」とナイスな笑顔で応じてくれました。

リハーサルを始める段階からこの日はちょっとアイディアがあって
直前のベルギーでのライブの後に泊めてくれた芸大生の家で聴いた
サーストン・ムーアのフリージャズのセッションの一部から
自分達のバンドに使えそうなリズムパターンをパクリ(笑)ました。

当然少しアレンジを加えベースとのフィット感を強めた訳ですが
どうもこれがパリっ子(なのか?)の心を捉えたらしく
リハをドアの隙間から覗き見する人が何人も居ました。

ライブ中は環境的に仕方がない部分もあって客席は真っ暗で全く見えず
しかしながら人の気配は相当多いなぁという印象でした。

ライブ後にリーダーが「今日のは良かったんじゃない?」って言うほど
なんとも言えない「いびつな塊」感のグルーブが生まれ
演奏中も凄く手応えのあるライブだったのは確かなのですが
演奏終了の直後その手応えを感じていても驚くぐらいの大歓声を受けました。

ライブ前に「今日の出演者はフリードリンクが4本だ」と言われ
4枚のドリンクチケットをもらっていたので
ドリンクカウンターに称賛の声を浴びながら向かうと
「おぉ!お前か!何本欲しい?好きなだけ飲めよ!」と言われ
3本か4本のビールを渡されました。

気分良くビールに口をつけると
対バンの怖そうなバンドの愛想が悪かったはずのボーカルが
「お前ら最高だ!」と言ってヨーロッパ風の頬をくっつける挨拶をしてきます(笑)

イベント自体も相当賑やかだった印象ですが
多分ちょっと疲れもあったのでしょう
静かな所に座りたくなり外に出ました。

外には大きめの焚き火があって何人かの人が火を眺めています。
ドレッドのモヒカンの男性がジャーマンシェパード2匹をロープ無しで連れて
じゃれあったりしながら静かに佇んでいました。

パリの人は冷たいだとかフランス語でしか話してくれないよとか
あまり興味もなかった上にネガティブな先入観を持って訪れたパリですが
当時経験したヨーロッパのライブでパリが一番寛容だったように思います。
そしてその後数回訪れたパリは毎回寛容さと自由を感じさせてくれたのでした。

今までやったライブの中で1番か2番に印象深いパリのライブ。
生まれた場所や人種など関係なく良いものは良いと認められ
共感すれば一緒に特別な時間を共有することができるという体験。
自分を信じてコツコツやっていけば、それはいつかどこかで受け入れられる。
ヨーロッパツアーをやった頃も毎日一人でドラムを叩いていましたが
ツアー以降もお店を始めるまで毎日ドラムを叩いたのは
次またいつ来るかわからないチャンスに備えての事でした。

結局それはお店を始めて数年後、
台湾でのライブだったのかな?と思います。

そこから2回の台湾ライブ、そして北京へと道が開けました。

RAMONESオフィシャルTシャツ2019/02/11

イギリスのオフィシャルTシャツです。
ポリエステル混の柔らかくレトロな風合いの生地に
現行よりも丸みのあるフォントで描かれたRAMONESの文字。
色もちょっとだけ黄色みがある白でビンテージっぽい演出。
革ジャンの下に着ると一層ビンテージ感が出ると思います。

ベンシャーマンの靴下2019/02/14

本来プレゼント用なんだと思いますが
丁寧に箱に詰められた靴下のセットです。
アパレルメーカーの靴下の割には
ちょっとだけ割安感があります。