白い暴動2020/08/05

映画「ホワイトライオット」を観ました。
タイトルからイメージするThe ClashのPV的映画ではなく
人種差別と戦った組織や、その活動に参加したバンドのドキュメンタリー。

勿論素晴らしい事ではあるのでしょうが
バンドが政治的にどうなのかには興味がありません。

ロンドンが舞台の人種差別を中心とした社会問題は
場合によっては世代間の問題や貧富の差など
東西を問わずどこにでも当てはまることも多く
単純に「いけません」「わかりました」とならないところが難しく
であるなら何故ブリストルでは人種混同のバンドが成立したのか等
「考えさせられます・・・」等と神妙な顔で感想を言う以外に方法はなく
どこの誰であろうと根本を解決できる人はいないのだと思います。

ただ、「違う」が前提の国と「同じ」が前提の国では開きがあるでしょうね。

それらしい歌詞を作って歌うことは難しくはないですが
バンドの活動が政治団体の宣伝に利用されるだけだったり
歌詞や活動の内容がバンドのイメージを縛り付けてしまい
芸術的で自由な魅力やセンスをバンドが失ってしまえば
一過性の厨二病的な印象の作品を残すだけでしょう。

戦争画を描いた画家や描くことを拒んだ画家もそうですが
何かに利用されれば背負うものも大きくなるものです。

映画に出てきたいくつかのバンドの印象は
映画を観る前と後でイメージの変化は全くなく
店主的には音がカッコ良いバンドが良いバンドです。

そして映画の中のロンドンの町並みやインテリアを見て
やっぱりロンドンはカッコ良いなと思ってみたり
テムズ川を超えた先にある黒人の多い街の事を思い出したり
見覚えのある景色に懐かしさを感じたりしていました。

おじさんにとっては
よく知ってることや懐かしい事が多い映画ですが
パンクなんて知らなくてもいいから
若い人達に観て欲しい映画だなと思いました。
この作品はSNSが盛んな時代の表現法のヒントをくれる映画だと思います。