パリは燃えているか2019/02/11

初めてパリを訪れるきっかけとなり
その後パリに何度か訪れるきっかけとなった
パリ郊外の廃墟で行ったライブの話です。

まだユーロが導入される前のヨーロッパ。
当時は住所と地図を頼りに目的地を探すしかない時代。
おそらくこの辺だろうという所まではたどり着いたのですが
住所の最後に書かれていたのは「~の辺り」という気になるキーワード。

歩いている人に住所を見せると、やっぱり場所は合っている。
しかし目の前にあるのは工場か集合住宅跡の廃墟・・・。
人の気配を感じたので恐る恐る中に入ってみると
やっぱり会場はこの廃墟の中でした。

案内されてリビングとして使われている様子の空間に入ると
どういう訳か違法な何かを「買わないか?」と勧めてきたり
国際交流としてはちょっと距離感のある質問をされたり
今夜は一体どうなってしまうのかな?という第一印象でした。

トイレを借りれば水道は止められているらしくバケツで汲み置きの水を流し
電気も来ていないようでキャンドルが照明代わり・・・。

ところがライブスペースに行くと、何故かエレキギターが鳴っている。
ステージ上には割れた瓶やガラスの破片が転がっていて
ステージの器材は対バンのクラストコア(見た目怖そうな)のバンドの物。

つまりその怖そうなバンドからドラムを借りなければならない訳で
「ドラムを貸してもらいたいのですが・・・」と恐る恐る声をかけると
「全然良いよ!好きに使ってよ!」とナイスな笑顔で応じてくれました。

リハーサルを始める段階からこの日はちょっとアイディアがあって
直前のベルギーでのライブの後に泊めてくれた芸大生の家で聴いた
サーストン・ムーアのフリージャズのセッションの一部から
自分達のバンドに使えそうなリズムパターンをパクリ(笑)ました。

当然少しアレンジを加えベースとのフィット感を強めた訳ですが
どうもこれがパリっ子(なのか?)の心を捉えたらしく
リハをドアの隙間から覗き見する人が何人も居ました。

ライブ中は環境的に仕方がない部分もあって客席は真っ暗で全く見えず
しかしながら人の気配は相当多いなぁという印象でした。

ライブ後にリーダーが「今日のは良かったんじゃない?」って言うほど
なんとも言えない「いびつな塊」感のグルーブが生まれ
演奏中も凄く手応えのあるライブだったのは確かなのですが
演奏終了の直後その手応えを感じていても驚くぐらいの大歓声を受けました。

ライブ前に「今日の出演者はフリードリンクが4本だ」と言われ
4枚のドリンクチケットをもらっていたので
ドリンクカウンターに称賛の声を浴びながら向かうと
「おぉ!お前か!何本欲しい?好きなだけ飲めよ!」と言われ
3本か4本のビールを渡されました。

気分良くビールに口をつけると
対バンの怖そうなバンドの愛想が悪かったはずのボーカルが
「お前ら最高だ!」と言ってヨーロッパ風の頬をくっつける挨拶をしてきます(笑)

イベント自体も相当賑やかだった印象ですが
多分ちょっと疲れもあったのでしょう
静かな所に座りたくなり外に出ました。

外には大きめの焚き火があって何人かの人が火を眺めています。
ドレッドのモヒカンの男性がジャーマンシェパード2匹をロープ無しで連れて
じゃれあったりしながら静かに佇んでいました。

パリの人は冷たいだとかフランス語でしか話してくれないよとか
あまり興味もなかった上にネガティブな先入観を持って訪れたパリですが
当時経験したヨーロッパのライブでパリが一番寛容だったように思います。
そしてその後数回訪れたパリは毎回寛容さと自由を感じさせてくれたのでした。

今までやったライブの中で1番か2番に印象深いパリのライブ。
生まれた場所や人種など関係なく良いものは良いと認められ
共感すれば一緒に特別な時間を共有することができるという体験。
自分を信じてコツコツやっていけば、それはいつかどこかで受け入れられる。
ヨーロッパツアーをやった頃も毎日一人でドラムを叩いていましたが
ツアー以降もお店を始めるまで毎日ドラムを叩いたのは
次またいつ来るかわからないチャンスに備えての事でした。

結局それはお店を始めて数年後、
台湾でのライブだったのかな?と思います。

そこから2回の台湾ライブ、そして北京へと道が開けました。

RAMONESオフィシャルTシャツ2019/02/11

イギリスのオフィシャルTシャツです。
ポリエステル混の柔らかくレトロな風合いの生地に
現行よりも丸みのあるフォントで描かれたRAMONESの文字。
色もちょっとだけ黄色みがある白でビンテージっぽい演出。
革ジャンの下に着ると一層ビンテージ感が出ると思います。